ジャニーズJr. Travis Japan 松倉海斗

見切れスーパースター

いつだって君のいる場所がセンターなんだよ

松松SHOCK決まったってよ、

 

タイムマシーンにのってSHOCKに松松の出演が決まったあの日のことを残します。

 

いつの話だよ、って思いながらも

 

その時の思いを忘れたくない!と自己満で書いていた下書きが残っていたから、ちょっぴり追加しながら成仏させてあげよう、という自己満のブログです。

 

まずSHOCKに松松が決まった時の私のTwitterがこちら

 

 

 

 

はい、とりあえずこの数日は松松とSHOCKについてしかほぼ発してません笑

 

ついにはこんなことまでいいだす

ショタコンBBA発言してるけど、私は健全!な気持ちで松松を応援してるので大丈夫です!(?)

 

 

そんなことはどうでもいいんですが、

私の母はJr.時代からの光一担で、飽きるほどSHOCKについて聞かされて育ちました。だから、光一くんがどんな気持ちで毎年SHOCKの幕を開けているのか、帝劇で座長をはるということがどれほど大変なことかを聞かされてきてるので他のジャニーズ舞台とSHOCKという舞台には個人的に熱量が違います。

 

いつかいつか大好きな人にSHOCKカンパニーの一員として歴史を刻んでほしい、そう思ってきました。でも夢の夢だと思ってたのでまさか松倉くんがSHOCKカンパニーになる未来なんて思っても見なかったし、ましてや松松が2人揃ってSHOCKカンパニーになる未来なんて想像をはるかに超えることでした。願望止まりだと。

 

私もJr.を応援してきてなんだかんだ10年くらいになりました。このたった10年でも、Jr.には例えやる気や実力があっても、決して超えられない壁があること、これだけはいやというほど分かってました。

 

SHOCKは推されてるから出れる、そんな簡単な舞台じゃないことは分かってるけど、露出は事務所が操作していること、そのことだけが頭にあって事務所は松松をどうするんだろうか。

 

決してJr.の最前線ではない2人。同期や後輩のバックをしなければならない場面もある2人。

 

それは松倉くんがSHOCKから帰ってきても、変わらなかった。踊りの幅も目つきも何もかも変わっていたけど、位置だけは変わらなかった。

 

 

2人で歩み、離れて成長して、また2人同じシンメに戻ってきた松松は今まで以上に多くの大人に認められ、先輩に指名され使ってもらった。けど一列前にもいけていない現状。

 

 

SHOCKで大成長した松倉くんと歌舞伎で大成長した元太くんはこれから飼い殺しにされるんじゃないか。

そしたらなんのために2人は離れたのか、2人はなんのために涙を別の場所で流したのか、なんのために爪痕を残し続けたのか、2人がどれほど技を磨いても披露する場は増えないのか

そんな不安もありました。

 

サマステもサマパラもジャニフワも、松松は視線泥棒と言われていたし、他担も褒めていたじゃんって、でも立ち位置と雑誌のページ数は変わらなかった。それで、もっともっと事務所のお偉いさんたち認めてよ!って気持ちが強かったのかもしれない。

 

 

そしてSHOCKの発表の季節だなーなんて思いつつ。

また松倉くんの名前があればいいな、カイトをまだみていたいな、って思いながらも

また離れ離れになっちゃう寂しいな、なんて思うこともあって。もう2人でSHOCK出れたらいいのに、なんてちらっと思ったりして。

だけど、松松2人でSHOCKに出られること、それは本当に簡単なことではないのを分かっていたから苦しくて。

 

 

SHOCKは当時ジャニーズが帝劇に立つことにバッシングを受けながら光一が必死に幕を開けてきたミュージカル。いまは日本一チケットの取れないミュージカルと言われるまでに光一が命を削ってきた作品。落ちた階段は約3万段。無呼吸運動と言われている殺陣。だから、生半可な気持ちでステージには立てない。SHOCKはジャニーズの舞台だけど、圧倒的にプロのダンサー、パフォーマーばかり。その中で、ライバル、ふぉ〜ゆ〜以外に出られる枠は末っ子役を含め

 

たった4人。

 

 

光一はカンパニーに対していつもこう言う。

「心配したところでダメなやつはダメで、消えていくのみだから。というかまずそんな心配をしなきゃいけないようなヤツを最初からメンバーには入れない。」

 

だから、実力とやる気と根性を座長が認めた人でないとカンパニーにはなれない。

松松はずっと一緒にやってたから!元太くんは相棒じゃん!とかそんなもんで出られる舞台じゃないことを嫌という程分かっていたからかもしれない。

 

カンパニーに選ばれた松倉くんだって初日ジャパネスクが始まる前に震えが止まらなくなった。熱も出した。

何故か岸くんもだいちゅんも松倉くんも必ず末っ子役は熱を出す。

だけど光一は決まって「無理してがんばれ」と言う。(先輩から言われて印象に残っている言葉は?という質問に、岸くんも松倉くんもこれを挙げる)

 

少しスパルタ、いやかなり過酷。でもそれに耐えられる人しか選ばれない。

 

Endless SHOCKは、そんな舞台。

 

元太くんはやる気も実力も根性も値すると思っていたけど、そんな一ファンの願望が簡単に叶うような場所じゃない。

そう心のどこかでたぶん決めきっていたんだと思う

 

 

そんな時に

岸担の姉から電話で

Endless SHOCKの出演者欄に「松田元太」「松倉海斗」の名前があることを知らされた。

私は、想像もしてなかった事態にフリーズして、手が震えた。

 

松松が、SHOCK。

 

この出来事は本当に本当に一生忘れないと思う。

松松の努力を見てくれてた人は間違えなくいた。しかも、元太くんが嬉しさと悔しさでぼろぼろ涙を流した舞台の座長が認めてくれているじゃん、目先しか見れない私はありがた迷惑な松松モンペぶりを発揮してるだけだったじゃん、ってことに気づきました。

 

勝手に、"私が"松松の限界を決めていたこと。

 

いつだって松松の2人はずっと先の未来をみているのに。

ステップアップを目指して、歌をもっと頑張りたい、ダンスも演技もしたい!ってずっとずっと先を見てたのに。

 

松松のことを見てくれてる人はファン以外にもたくさんいるはず、だから、どんな仕事にも全力でやり抜いていたのは松松本人だったのに。

 

 

あの2人は馴れ合いで繋がっているような2人じゃない。いつだって仕事に熱くてどの位置でも本気で手を抜かない。だからお互いにシンメでいられる。

 

 

後日談で光一は元太くんをオーディションで選んだ時、松田元太という存在も、松松という括りも知らなかったと言う話があった。

光一は、松松の松田元太ではなく、ジャニーズJr.の松田元太を選んだ。

カイトだってただ続投してるだけじゃない。

常に作品を良くしようとする中で他を見ながらも「やっぱり海斗があってる」と光一が考えて選ばれて続けてきた結果

 

 

松松がSHOCKっていうよりも、

 

松倉海斗、松田元太っていう個人個人で掴み取ったシンメの強さもたまらなくて。

本当にどこまでこの2人は夢みたいな現実の物語を見せてくれるんだろう

 

というか2人はいつだって現実をみてる、だから強い。

2人にとって 夢は叶えるもの なんだとも思う

もっとマイクを持って歌いたいよね!もっと前で踊りたいよね!演技たくさんしたいよね!デビューしたいよね!

 

って全くもって2人はとりあえず、なんとなく、こうなれたらいーなーじゃなく

現実として自分たちに必要なことを決めて発言してる。

 

マイクを持って歌うためにボイスレコーダーでとっては修正を繰り返し、前で踊るためにみんなが休憩している中ダンスを練習し続ける、仕事の話をすると熱くなって止まらなくなってしまう。

 

どっちかじゃなくて2人とも個人個人で仕事に対する熱量まで同じ。

 

だから、

この移り変わりの激しい事務所の一ジャニーズJr.で

2人は、シンメトリーでいられるんだ。

自分たちで運命とまで言えるんだ。

 

 

SHOCKに出演してるから、単純にテレビ露出の面では他に劣る。

SHOCK期間中、セクゾのバックにいなかったことで松松は退所したの?なんて言われて、

いやSHOCKで毎日踊ってるわ!って悲しいツッコミをした日もある。

 

 

だけど、

厳しくもあたたかいカンパニーの中で、2人が悩み苦しみ戦ったものが、これから2人の進む道を大きく切り開く武器になりますように。

 

バックじゃなくメインメンバーとして事前に名前が発表されることが当たり前の日がきますように

 

 

2人が必死に練習してきた

ダンス、歌、演技、すべてが多くの人の目にとまる環境になりますように。

 

もっともっと2人のパフォーマンスに心を動かされる人がたくさんたくさん増えますように

 

 

 

もうSHOCKも関係あるのかないのかよくわからない終わり方になってしまったけど、

夢を夢で終わらせない、この最高なシンメトリーが見せてくれる世界をずっとずっとみていたいです。

 

 

本当に本当に2人の努力がもっともっとたくさんの人に見つかりますように!

 

 

 

 

 

見上げれば 思い出すよ 変わらない空 あの日の願い
喜びも 憂い事も 儚い夢も 空は見てた

この場所から始まったんだ いつか 必ず夢を叶えようと

輝いたこの街で 羽ばたいた夢がある
迷わずに想いを重ねよう そして1つになれば きっと夢は叶う

 

立ち止まらないで
あしたへと走ろう (走り続けよう)
勇気と希望と 夢を現実へ変えてみせるさ

 

あなたの輝くひとみについてく
終わることのないステージの
旅は続くの
夢を追いかけてゆく

 

 

 

 

そして無事成仏できた私の約2年前ちょいちょい書いてた下書きよかったね!笑

これを書き始めようとした時には考えられない未来があるよ!

最強な仲間と共にメインメンバーとして横浜アリーナでコンサートしてるよ!

個人うちわが出たよ!

夏にはDance以外にも松倉くんの歌が堪能できる時間があるよ!

松松で向き合ってOne day歌うよ!

あのきゅるきゅるなおめめの松倉くんに使われている目薬が特定できる未来が来るよ!

 

 

時代錯誤な記事を読んでいただきありがとうございました。大感謝。

 

 

 

 

 

松松 秋の陣~ジャニーズフューチャーワールド~

 

ジャニーズフューチャーワールド

福岡博多座、大阪梅芸、地方2箇所公演本当にお疲れ様でした!

 

今更ですが、書きます。

 

私は松倉海斗くんを応援しているから贔屓目でしか見てないけど、松倉くん、そのシンメの松田元太くん、通称・松松の2人がようやく‘報われた舞台だった’と思います。

でも、それは松松だったからというより、「松倉海斗」と「松田元太」という個人の2人が個々に評価されたんだとも思ってます。

この離れ離れの期間を越えて帰ってきた松松だからこそ、きっと。

 

 

松倉くんを応援し始めて日の浅い新規が何をいう、って感じですが、

松松はプライベートで遊びに行ったり、よく見かけられるし、たしかにそうなんだけど、仲良しシンメと言われるとちょっと違うな、仲良しシンメなだけじゃない、もっと言葉があるはず、って思ってしまって。

 

松倉くんが同期のバックで踊ったり、歓声の大きさだったり、きっと悔しいこと辛いこと納得いかないこと、歯食いしばっているとき、

まっすぐ対称には必ず同じ眼をした元太くんがいて。

その反対に、マイクが持って歌えたり、いつもより前だったり、楽しいこと、うれしいことそれもまっすぐ対称には元太くんがいて。

 

どんな時も共にシンメでステージに立ち続けた松松は‘戦友’、みたいな表現になるのかなって思います。

(ちょろっと調べたら、松倉くんも雑誌で「元太はライバルっていうより『戦友』って感じ。」と残してました。)

 

 

2015年地方公演のみ出演の松倉くんにとってSHOCK稽古が始まるのは8月。そのころから松倉くんと元太くんは別々の仕事がほとんどになります。

その松倉くんの戦友は、松倉くんがSHOCKに抜擢されて、松松で仕事ができないことがすごく不安だったと色んな場面で残しています。

そんな中、元太くんは松倉くんの出演しているSHOCK、梅芸まで観劇にいきます。そこでいつも一緒の景色をみてきた松倉くんと、横並びではない、日本で最も売れているミュージカルといわれるEndless SHOCKに「カイト」という名前もセリフもある、ソロで歌い踊る場面もある、そんなステージに立っているカイトと客席という全く正反対の場所からみた元太くんの心は、きっともう、それは。

 

元太くんは割と正直にファンにもいろんな感情を見せてくれるから、その時のことを語っていた雑誌を引用します。

「幕が上がってからは、ずっと松倉のことをみてた。もうね、最初から泣いてた。『すごいな、俺も負けてられないな』って思ったし、いっぱい刺激を受けて。終わった後も楽屋に行って話したし、帰りの新幹線に乗る前にもう1回話したくて、大阪駅からまつくに電話したの。思ってることを全部伝えてたらまた涙が出てきて、駅で泣いてた。いつもJr.の活動で一緒だったから、こんなに離れてるのは初めてなんだよね。早く会いたいし、ごはん食べに行っていろいろ話したい!」

 

 

「まつくがでている『~SHOCK』が見たくて、大阪まで行ったの。堂本光一くんの横で、堂々としたオーラで演技したり、踊ったりするまつくを見てたら、帰りの新幹線で感動と刺激とうれしさと悔しさ…いろんな思いがぐちゃぐちゃになって、ポロポロ涙がでてきたんだ。そこから1週間くらい‘今後、自分はどうするべくなのか’っていうことを考え続けて。正解かどうかはわからないけど、‘とにかく自分から動くことだ。そして、なにか自分の武器を見つけよう’って決めたの。(中略)いつチャンスをもらっても大丈夫なように自分磨きしないとね!この出来事は、ほんとうに自分を大人にしてくれた気がする。まさに自分を変えてくれたSHOCKなできごとだったよ。」

 

 

 

SHOCKを見た直後は、カイトを見た衝撃と感動とで泣くことしかできなかったと語る元太くんが、松倉くんと話したりする中で、自分はどうするべきなのかを必死に模索していて。これ以降の記事では、「また、松松でシンメとして踊りたい。」この言葉があるようになりました。

いままで当たり前だった「松松シンメ」という存在が。どんなに相手が違う場所にいても、「最終的には、松松でおどりたい。」

 

松倉くんもこの思いは同じで、

「今はそれぞれが今の環境で頑張る時期。元太がSHOCKをみて刺激になったっていってくれてすごくうれしかったし、俺も元太をみて頑張ってるなって思ったし。ダンスも上達してる。そういう変化もお互いすぐ気づくんですよ。」

 

 

「前までは松松コンビで取り上げられることがおおくて、ちょっと照れみたいな気持ちもあって元太に対してツンな時もあったけど、やっぱあいつはオレにとって特別な存在なんだよね。ふたりでファンの人達の前でパフォーマンスしたのは、約1年も前なんだよ。その間、俺はSHOCK、元太は滝沢歌舞伎とかやって、たぶん成長してるはず。早くまた元太とシンメで踊りたいよ。こんなこと、直接あいつには絶対言えないけどね。あいつ、これ読んだらたぶん泣くな。(笑)」

 

 

2人離れての仕事が心細い元太くんに「お互いが別の場所で経験したものを合わせたら、もっと強くなれる。」と言ってくれたし、ジャニーズワールドで元太くんの考えたソロダンスをすごくほめてたし、2015年のMVPにも選んでました。

 

そして、今年の春、元太くんは「滝沢歌舞伎」に出演。そこで滝沢イズムを感じたり、たくさんの尊敬する先輩とたくさん出会って。

滝沢くんは、こんな活をいれてくれるんだ!Snow Manはこんなことを教えてくれて…ってすごく滝沢歌舞伎から得たものは大きく強いものだと言葉の端々からも 溢れ出していました。

 

 

そんな松松はジャニーズ銀座They武道公演で復活しました。

私はこの公演には入っていないけど、TLが「松松復活」の文字で埋め尽くされていたことは覚えてます。

 

それだけファンが、松倉くんと元太くんが渇望した松松シンメ。

夏はサマステ、サマパラ中島健人ソロコン、とずっと松松の仕事でした。

サマステでは、メインメンバーとして発表されユニットだらけのVS公演のなかに唯一「松倉海斗」「松田元太」とユニットに属すことなく無所の二人の名前は堂々と輝いていました。

 

いままで当たり前だった「松松」という姿で。ユニット名をもたない2人はコンサートで「松松」とコールされ。

 

会場中が「松松」と当たり前に叫んだ。そんな奇跡と奇跡がまじりあった「松松」という“当たり前”がそこにはありました。

 

そして秋になり、松松は平野くん座長舞台「ジャニーズフューチャーワールド」のバックJr.の1人として博多座、梅芸と駆け抜けました。

幕が上がり「松松…強い」「私のしってる松松じゃないよ、あれ。」「松松の表現力すごすぎ…」と各所から耳に入ってきました。

「次○○(曲名)みるとき、一度でいいから松松みて」「○○(曲名)の松松みないと後悔する」とも。

もちろん他の出演者も演技力、パフォーマンス力、多くの才能、実力に長けた人ばかりです。

みんながみんな松松をみていたわけではない。でも、少なからず、一瞬でも自分のお目当ての子をみる時間を松松に割いた人がいたこと。

 

きっとそれは、2人の努力の証。

 

「松松がすごい」といわれたのは

松倉くんだけが飛び抜けたり、元太くんだけが爪痕を残したからじゃない。

「松倉海斗」と「松田元太」という個人個人が評価されて、どちらも同じ眼で同じ熱量で、そこにいたから、

松松すごい、といわれたんだと思います。

 

 

松倉くんが元太くんに伝えた松松シンメを守るために伝えた言葉、            

「お互いが別の場所で経験したものを合わせたら、もっと強くなれる。」

 

これが、まさに今。過去にその場所で腐らず粘ったから、いまの認められる松松としていられた。

目の前の仕事に全力投球しながらもずっと未来を見てる2人は本当に強いな、

お互いの隣に、当たり前の対称に、戻ってこられた。

 

 

 

松松と言われる二人が、もっともっと飛躍できる仕事、多くの偉大なホンモノの先輩に出会えますように。

 

だれの背中も見えない、ステージの一番前で踊れますように。

 

次はメインキャストとしてもっと多くの人の目に留まるステージに立てますように。

 

それが2人同じ場所でなくてもいい、1人の力を2人に還元できる二人だから。

足し算じゃなくて掛け算にできる2人だから。

 

そして、ステージに立てば絶対に絶対に爪痕を残す2人に、メインの仕事をください。

もっともっと評価されますように。

その日を願っています。

 

 

 

 

走れHi Hi弾けるライブnow

君とJETなDOするLIFEなう

どんな壁もBreak it out 旋風起こせrun and run

掴めHi Hi僕らのbrand new world 

キメて明日へbe with you

We’re gonna sing the song 新しい時代

連れてって 君をね HiHi JET

さあEverybody そうね HiHi JET

 

 

 

 

 

 

 

Kis-My-Ft2 CDデビュー5周年!

 

2011.08.10 Kis-My-Ft2は『Everybody Go』でCDデビューした。

 

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その日から5年の月日が経った。

 

永遠に櫻井翔くんが一番で櫻井翔くんより好きになる人なんていないと信じて疑わなかった小学6年生のとき、玉森裕太くんに出会った。

最初は関西ジュニアしか興味がなくて当時東西ジャニーズJr.のトップだったKis-My-Ft2という巨大勢力については存在を知ってる。それだけだった。

でも、関西コーナー以外、in大阪以外の少クラを見始めてその巨大勢力にどんどん魅せられていく自分がいた。

当時の自分は掛け持ちなんてアリエナイ!みたいなそんな感じの人間で嵐以外のグループ、しかもjr.なんてという思いがよぎっていて。私は櫻井くんを裏切れない。嵐が一番だから、と言い聞かせていた。

 

でもそれから約1年経つのか経たないかの2009年夏『PLAYZONE2009~太陽からの手紙~』(通称プレゾン)でKis-My-Ft2が座長を務めることが発表された。

 

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それまで少年隊の舞台だったプレゾンが、初めて他のジャニーズの手に渡った。しかも、jr.に。ジャニーズジュニア内の圧倒的勢力だったKis-My-Ft2に。

 

こんな機会は一生に一度かもしれない。今年を逃したらキスマイに会わないままキスマイはなくなってしまうかもしれない。それを助長するかのように最年長北山宏光くんが25歳になったら退所する。そんな噂が流れていた。

 

今考えたら、それは噂だったのか、本当だったのか覚えていない、でも中学生になったばかりの私はそれを鵜呑みにして、今年いかなければ、プレゾンに行かなければ、わたしは7人のキスマイには一生会えない。そんな人生ありえない。

あんなにキスマイを応援することに躊躇していたはずなのに気づけば、2009年夏、青山劇場にいました。

それから、キスマイは全国を回る1stホールツアー(キャパ約2000人)

次の年にはアリーナツアー(キャパ1万5000人)、また次の年にもアリーナツアー。そこで念願のCDデビューが発表されるわけですが。

 

気づけば嵐に割いていた時間もお金も全部キスマイに回している自分がいて、あっさり玉森くんにおりていました。

 

人生初の担降りは、「気づけば」。本当にこれ。

なぜキスマイに降りたのか、もちろん個人的なタイミングもある。(嵐が私的に売れすぎて、遠く感じて応援する意味を見失ったこと等)

でも、他のだれでもなくキスマイじゃないと私は担降りしてなかったと思う。

他になくてジャニーズjr.の1グループでしかなかったKis-My-Ft2に他の全ユニットが敵わなかった圧倒的な要素は「最も身近な非現実」。

 

こんな気持ちにされる要素はそうそう持てるものではない。

当然振り返っても2009年1stホールツアー時、最前列が当たり1mもない距離にいるジャニーズなんて見たことがなくて、ジャニーズってこんなに近くにいるんだ。と思った。でも身近なのはそういう物理的な距離だけじゃなくて。悔しいときには歯を食いしばっていて、嬉しい時には飛び上がって喜んで、ファンと同じ瞬間を生きてくれて、どこまでも身近だった。

でも、そんなに身近にいるのにキスマイはどこまでも、もっともっと上いく、もっともっと大きな会場で、どこまでも満足してないキスマイにひたすらついていくしかなかった。

プレゾン座長、玉森のごくせん出演、全国ツアー、写真集、着うた配信、Mステ単独出演、他にも目まぐるしいJr.ではありえないようなことが次々にキスマイに舞い降りてきて、

この人たちにいまこの瞬間ついていかなければ置いていかれる。

まるでまったく違う景色を見ているようだった。どこまでも非現実だった。

私もこの人たちの夢をかなえる手伝いがしたい。その一心だった。

そして、キスマイはその期待に絶対に応えてくれる。

 

そして、ファンとキスマイの永遠の夢だった「CDデビュー」。

それが叶った瞬間から、夢の続きがはじまった。

 

それからもう5年。

いま振り返っても、キスマイ担を続けるには壁が多かった。

デビュー前はKAT-TUNのようなチャラチャラした路線で

売れないホスト、なんて呼ばれてた。

でもデビューしてからは爽やか好青年ばく進路線。

そのギャップについていけないファンもたくさん降りていった

私も正直降りる手前まで行った。

いろんなジャニーズを応援しながら、キスマイからぎりぎりでしがみついて

どんなにキスマイから離れそうでもコンサートにだけは行った。

 

そして、どんなに構成や路線が変わっても、そこに私の大好きな7人が変わらずいてくれることを思い出して、また次のコンサートまでの愛情をフル充電して、ここまでついてきた。

 

5周年記念でメンバーが作詞した曲『Re:』。

その一部を紹介する。

 

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「大好きな日もあれば 大嫌いな日もある」

「僕らが迷ったときも 愛し続けてくれてありがとう」

「不器用なLove Song」

 

デビュー5周年までのことを思い出すと、

この歌詞が私がキスマイを応援してきた日々を投影したような歌詞で、

涙が溢れた。

 

ファンだからこそいうけど、キスマイは正直

本当に不器用な7人だと思う。

言葉選びというか、なんというか誤解されることがとても多い。

だから、敵も少なくないと思う。

同期や後輩のバックで踊ることも多くて、たくさんの悔しい思いや汚い世界を見てきたんだとも思う。

だからこそ万人受けする綺麗事だけの言葉は言えなくて。

(その証拠にキスマイのmyojo10000字インタビューは毎回荒れます笑)

でもそんな世界で潰されずに、今まで自分たちを越してきた者たちを超えて勝ち残ってきたキスマイには、絶対的な勝負強さと爪痕を残す力がある。

 

私が今も変わらずKis-My-Ft2が大好きな理由はそこです。

そして変わってしまったように見えるキスマイは、実は「最も身近な非現実」の部分では全く変わってない。

いまもどんな仕事にも牙が見え隠れして、絶対に爪痕を残してくれる。

きっとそんな仕事をしてきた積み重ねで、5周年にはドームツアーができるほどのファンを獲得できたんじゃないのかな。

 

今年もありがたいことに私の大好きなKis-My-Ft2のコンサートに行けます。

そして、また次のコンサートまでフル充電してきたいと思います。

 

5周年、キスマイから離れようと思ったこともたくさんあったけど

それでもついてきて、共に5周年をお祝いできて本当に幸せです。

これからもしばらくはキスマイにお世話になると思います。

10周年もお祝いできますように。

 

では長々と書きすぎたので終わります。笑

これからも、Kis-My-Ft2玉森裕太くんがだいすきです。

 

2016.08.10